積ん読の中から、読みたい本がもう1冊
『知的生産の技術』ようやく読み終えました。
読み始めたときから、ひらがなが多いことが気になっていたのですが、意図的にそうされていたことが最後のほうでわかりました。本当はもっと増やしたいけれど、増やしすぎると読みにくくなってしまうジレンマも抱えていらしたようです。
ただ、それは当時の原稿執筆が「手書き」か「ひらがなタイプライター」のどちらかしかなかったからかもしれません。そのほかの著作ではもう少し漢字使用率が増えているのかも、なんてことを考えていました。実は1冊、気になっている本があるんです。大きな本屋さんに行く機会があったら見てこよう。
関連して、「原稿は原稿用紙に書くべし」という梅棹先生の悩み(嘆き、かも)も、パソコンや印刷技術の進歩によって解消されたかなぁ、と思いました。いや、でも、「何文字書いたか把握しづらい」とか思っていたりして。
さて、『知的生産の技術』を読んでいる最中に気になった本がありました。
これに加えてもう1冊、「次はこれを読もう」と思った本が出てきました。ちょうど、最後のほうに書かれていた「文章」の項目を読んでいたときのことです。
このほかにも文章の書き方に関する本を持っていますが、まっさきに浮かんだのは本書でした。
仕事で他の人が書いた文章を読むことが多いのですが、簡潔で読みやすい文章を書く方にあまり出会えません。同じ言葉を必要以上に繰り返したり、直接関連性のない情報を盛り込んでいたりして、読んでいる途中で疲れてしまうことが多いです(ただ、それはもしかすると「Webメディアあるある」なのかもしれません)。
梅棹先生も書かれていましたが、わかりにくい文章を何度も読んでもらえるほど時間に余裕がある人は少ないと思います。わたしも人のことばかり言ってないで、自分の文章をわかりやすく、簡潔に書く練習をしよう、と思いました。
ヒントがあるといいなぁ
『知的生産の技術』を楽しく読んでいます。いまはタイプライターのところが終わり、日記の書き方の章にたどり着きました。
日記は、自分自身のための、業務報告なのである。
(『知的生産の技術』P. 183より)
上記の一文を読んで、日記に対するプレッシャーみたいなもの(感情のおもむくままに書くものなんじゃないかとか)を感じなくていいのかとほっとしました。
タイプライターの話は、昔の試行錯誤がかいまみえて興味深かったです。タイプライターの文字入力が、ローマ字→カタカナ→ひらがなと変遷した話を読みながら、その後に登場した日本語変換ができるワープロやパソコン、スマホのフリック入力をみたらびっくりするだろうなぁと思いました。きっと梅棹先生のことだから、誰よりも使いこなすような気もします。
本書を読みながら、ちょっともやもやしていることがありまして。それは、情報の整理を紙で行うのはよいのですが、物理的なスペースには限りがあるので、自分がこれを紙でやろうとするのはかなり無理があるぞ、という点です。だからこそ、Evernote や Googleドライブといったサービスを活用すればいいと思うのですが、いつか消えてしまうんじゃないか……と思いながら使うのもなんだか、と思っています(突然仕様が変わるのは、文房具やお菓子、基礎化粧品でもありますね)。
そんなことを頭の片隅で考えつつ、ふと手にした本の「はじめに」を読み始めたら、もしかしたら解決のヒントが見つかるかもしれない、とピンときました。まだ本編を読んでいないから、直感がはずれる可能性はおおいにありますが。
また机の上に「今週読みたい本」が1冊増えましたが、気にしないことにしましょう。
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まだなにも読んでいないので
朝から慌ただしく過ごしていたこともあり、いまだに本を読めていません。いつもは電車の中で読むんですが、今日は違うことをしてたから、というのもあります。
母が残業帰りに買って食べたらおいしかった、と言っていたので。おいしかったです。
シウマイ弁当といえば、1年前の出来事を思い出します。船内にいる人に食べてもらえたらと思って用意されたお弁当が誰にも届かなかった、というあれ。1年前の今ごろ、来年はお花見を楽しめるんじゃないかと思っていたような気がしますが、そんなことはなかったですね。
月に一度の整体に行った帰り道、線路沿いの桜が満開になっているのを眺めていました。桜は例年と変わりなく、とてもきれいでした。
何かを作りたいと思っている(かも)
今週から『知的生産の技術』(梅棹忠夫著/岩波新書)を読んでいます。先日読み終えた土橋正さんの本とインスタライブが読み始めたきっかけです。ずいぶん前に購入していたんですが、なんとなくとっつきにくさを感じてしまい、なかなか読み始められなかったんです。
まだ半分くらいですが、アイデアの記録をノートからカードに変えた経緯と、市販の文房具は入れ替わりが激しいから、カードやスクラップ用の紙など、頻繁にデザイン変更がある文具は特注で作ってもらうことが印象に残っています。
読書メモをノートにまとめる、という行為がしっくりこない理由では、と思ったからかもしれません。この本がきっかけでこの本を読み始めた、という記録もつけたいと思っているのかなぁ、とも思います。頭の片隅でくすぶっていた「読書メモ、どうやって残す問題」にようやく着手できそうな感触が出てきたので、ちょっとずつ修正して快適な環境に変えようと思います。
その流れなのかどうかわからないけれど、ふと目に止まった本を読みました。机上の「いつ読むか決めてないけど気になる本」の山にあったものです。
本書の中で、「同人誌はできるかできないかではなく、作るか作らないかだ」というせりふが出てきます。ずっと私に同人誌や zine は作れないと思っているのですが、何か作りたいと思っているから手に取りやすいところに持ってきたのかもしれません。たとえばですけど、読んだ本のつながりをまとめたペーパーなら作れそうだなぁ、と思っているので、こちらも合わせて考えて見たいと思います。
* * *
今週の前半で仕事で衝撃的なことがあったせいか、今週は気を抜くと「つかれた」とつぶやくことが多かったです。それは、そのまま進めてしまうと問題が起こる可能性があるとわかっているのに、事前に対処するつもりがまったくなく、実際に問題が起きたら対処すればいいと思っていたからでした。だからほぼ毎週、何かしらのクレーム対応に追われ、本来の自分の仕事が進まないのですが、そこには気づいていないようです。
仕事についてはさておき、この困った出来事を通して何に気づくべきかなぁ、と考えていました。ひとつ思ったのは、やるべきことをやらなかったら結果は出ない、ということでした。そんなことを思った日に TOEICの結果が郵送で届いたのも、偶然ではないように思います。
自分の勉強とか、日常生活のことなら「わかってるけどやらなかった」ために起きた出来事は自分が責任を持って受け入れればいいだけです。でも、仕事はそうもいかない(自分以外の関係者がたくさんいるので、その人達にも迷惑がかかる恐れがある)ので、この先が怖いなぁ……とどきどきしているのでした。
本が本を呼ぶ
今は本を買わず、もくもくと積ん読を崩すことに専念していますが、わりと最近買った本を読みながら積ん読になっている本のことを思い出すようになりました。
そして、いそいそ発掘してパラパラとめくりながら、こうして「過去の好奇心のかたまり」が「今の好奇心」に繋がっているって、なんだか面白いなぁ、と思いまして。興味なんてたいして変わらないから、そんなに大げさな話ではないかもしれません。でも、そう思って買ったわけではない本を思い出し、次に読む本へとつながるってすごいことだし、こういう出合いを大事にしたいです。
もうひとつ思ったのは、好奇心から本を手に取ることが多いこと。気になった本はそのときの「好奇心のアンテナ」に引っかかったものだから、できるだけ手にとったほうがいいな、と思いました。今の自分には直接関係なくても、いつかどこかでつながることはあるわけですし。
そう考えると、読んだ本の記録の仕方も変わってくるのかもしれません(『知的生産の技術』を横目で見つつ)。
なので、積ん読が増えるのはしょうがないんだな、と妙に納得してしまいました。とはいえ、私の場合、増えすぎると本が全く読めなくなってしまうので、ほどほどにしなければ、ですけど。
積ん読の写真は自主規制しているので、いつかの空模様をかわりに。
本をゆっくり読むために
今週読む本には入れていなかったのですが、積ん読の山(文庫エリア)を眺めながらふと気になって少し読んでみました。
手にとって序文を読み始めたら、心にぐっと響く文がありまして。これはすぐに読もうと、机上の「今週読む丘」に置きました。
時と場合によって、速読が求められることもあろうが、それは結局、読書ではなく、情報処理ではないかという考えも、当時から変わらない。
(P. 8「文庫版に寄せて」より)
読書を楽しむ秘訣は、何よりも、「速読コンプレックス」から解放されることである! 本を速く読まなければならない理由は何もない。速く読もうと思えば、速く読めるような内容の薄い本へと自然と手が伸びがちである。その反対に、ゆっくり読むことを心がけていれば、時間をかけるにふさわしい、手応えのある本を好むようになるだろう。
(P. 14「序 本はどう読めばいいのか?」より)
耳が痛い……。
もともと本を読むのは遅いと思いほうで、速く読めるのは、慣れているジャンルだったり、もともと読みやすい文章だったりするときだけです。速く読めたら、気になっている本をもっとたくさん読めるんだけどなぁ、と思う反面、そんなに急いで読んでどうするんだろう、とも思います。心の片隅にある小さな迷いをちょんちょんと突かれたような気がしました。
今は落ち着いた読書環境を作るためにごりごりと本を読むことに集中しているので、どちらかというと急いで読んでいる感覚があります。とはいえ、速く読みたくない気持ちもあるので、ただ気持ちばかり焦っている感じもあります。もう少しゆったりと読書を楽しめるようになりたいなぁ、でも、そんな日はいつ来るんだろう……と思う今日このごろです。
ちなみに、この本は大阪の梅田蔦屋書店に行ったときに買っています。「コンシェルジュ文庫」という、全国の蔦屋書店のコンシェルジュ(書店員さん)が選んだ文庫本を集めたフェアで2年前に購入しました。梅田蔦屋書店に行くと、毎回必ず手作りの小冊子が置いてあって、それをいただくのがとても楽しみなんです。「コンシェルジュ文庫」と小冊子は昨年もあったのですが、コロナ禍で行けなかったのが心残りです。代官山や浦和など、行けそうな店舗でも開催されていたんですけど、普段行くエリアではなかったので気が引けました。できれば今すぐ大阪のお店に行きたいけれど、さすがに気が引けるので、もう少し落ち着いたら都内の店舗に行こうと思っています。落ち着く気配、ないですけども……。
キレイゴトでいいんだ
『ファンベース』(佐藤尚之著/ちくま新書)を読み終えました。ちなみに、写真に写っているシステム手帳のリフィルは読書ログです。
ずっと企業のインスタライブを思い浮かべながら読んでいたのですが、後半に入ってそうとも限らないのかと気づきました(インスタライブは、ファンを作るきっかけにはなるけれど、熱狂的なファンを対象とした施策の手段にはならないなぁ、と)。
ファンを大事にし、ファンに喜んでもらえるために努力する、というのは、前職で少し取り組んだことがあります。本書が出る前だったので、ファンベースをもとにやったわけではありません(上司に先見の明があったんですね)。でも、誠実にクレーム対応をしてお客様の本音を引き出し、サービスを見直すきっかけにしたことがあるので、「そりゃそうだ」とうなずく話が多かったです。結果が出るのに時間がかかるから、ともすると批判されやすい、というのも含めて。
今の会社はBtoBなので、本書で学んだことをそのまま当てはめることは難しいのですが、それでも、取引先とストレスなくやりとりできるように配慮したり、フィードバックを踏まえて軌道修正したりすることで、信頼関係を築くことはできるんじゃないか、と思って仕事をしています。実のところ、その努力が評価されているのかどうかはわからないんですけど、一応契約は更新されているので、少なくともネガティブな受け止められ方はされていないと思います(たぶん)。
最後にまとめられたファンベース施策のポイントの7番目が「キレイゴトを楽しむ」だったのと、最後に引用されたマザー・テレサの言葉は、今の職場に絶望的な気分になっていた私の心を救ってくれるものでした。これまで積み重ねてきたことを全否定されるようなことを言われているので。
仕事に限らず、誠実に対応してもひどい言葉を投げつける出来事や人はいます。それは、私の言動が気に入らなかったからだと思うのですが、そういうとき、自分が至らなかった部分を反省しつつも、反省しすぎない(泥沼にはまってしまわない)ことは大事だなぁと改めて実感しています。そういえば、坂口恭平さんの『自分の薬をつくる』にも「聞こえない言葉は聞かない(全方位に配慮しすぎて、言われていない言葉を想像してしまう、という意味だったと思います)」「成果物に対する批判はしても、自分は批判しない」という言葉がありましたっけ。難しいですけど。
仕事のことでいろいろ引きずってしまったのが、読了後の感想にまで影響を及ぼしているなぁ(反省)。