ぼんさいメモ

読書と英語学習、そのほかいろいろ

朝、積ん読を見ながら思い出したこと

けさ、というより昨日の夜からなんですが、前の職場にいたあるおじさんのことを思い出していました。

 

そのおじさんの机には、資料や本、Amazonで買ったものなど、仕事のものと私物とが渾然一体となっていて、要塞みたいな感じになっていました。机の両サイドには本と資料がうず高く積み上がり、キーボードは資料に埋もれ、引き出しは開かずの間になっていました(確か、大掃除のときにこじ開けたらキーボードが出てきた記憶が……)。

 

足元はもちろん、自席の両サイドにも段ボール箱がたくさん、ロッカーは私物であふれていて、一緒にロッカーを使うはずだった人がまったく使えない状態でした。でも、必要な資料はなぜかすぐ出てくるという、不思議な机周りでした。

 

10年前のあの日。荷物が多めだった人の机は雪崩が起きていたのに、そのおじさんの周辺はまったく崩れなかったんだそうです。あそこまでいくと、絶妙なバランスで物を積み上げることができるんだ、と感心したことを覚えています。

 

実はいま、私の部屋に無数の(いや、数えたくないだけです)積ん読の山がありまして。私はおじさんほどの境地にはまだ至っていないので、崩れないように本の大きさを揃えて積んではいるのですが、そうじゃないところもちらほら出てきており、いよいよあの領域に一歩踏み込んでしまいそうだな……とうっすら冷や汗をかきはじめています。

 

うずたかく積み上がった本の山を見ながら、本を買い込んでしまうことは似ているけれど、博識なのと、対応に苦慮するお客様への返信メールの文面が非の打ち所がなかった(相手が脅してこようと、できることと、できないことを穏やかな文面で伝えていた)のと、こちらがギクっとなるほど鋭い意見(たまにイヤミを混じってたけど)を言えるところはちっとも似ないなぁ、なさけないなぁ、と苦笑いしています。

 

久しぶりにおじさんのことと、その部署にいたときの日々を思い出しながら、ちっとも追いつけない「すごい人」と一緒に仕事できたことは、本当にありがたいことだったと考えています。いつか私もそうなれればいいけれど、はてさて……。

 

退職後、おじさんを二度見かけたことがあります。1度目は大きな本屋さんで、2度目は神保町で。どちらも両手に大きな紙袋を下げていました。声はかけなかったのですが、相変わらずだなぁと思ったことは言うまでもありません。

 

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2011年8月に撮った虹

10年前の写真を探したら、入院していたときの写真と、上に貼った、ある夏の日に撮った虹の写真しか残っていませんでした。このときのわたしは、まだガラケーを使っていたようです。スマホTwitter を見ながら帰宅したと思い込んでいたけど、この記憶は脳内で捏造されていたのか……。